NeoCulture#Journal

Neo Culture #Journal

ある文化がある異文化を受容するには、母体となる文化においての既成概念の破壊と伝統の再構築が必要となる。 Neo Cultureは、その過程を人為的かつ局所的に再現しようとする、一種の実験である。

Facts in Blanksー系譜

例えばyakhniという料理がある。

骨付きの肉を煮込み、とれたスープにヨーグルトを加えてさらに煮る、煮込み料理である。

 

 

例えばkormaという料理がある。

乳製品に加えナッツを使用するリッチな煮込みである。肉、肉と野菜、野菜とナッツなど主たる具材は様々である。南インドに存在するkurmaはこの派生である。

 

 

どちらも北インドの料理であるが、同じ系統の料理は、インドを東端として、

西はギリシャやトルコ、東ヨーロッパに至るまで、

西アジア・中東諸国を挟み、

様々に姿形を変えながら分布している。

 

それもそのはず、この二つの料理のご先祖様はペルシャ出身なのである。

 

 

そしてここでまた1つ疑問を。

果たしてインドで食べられている、yakhniとkormaはカレーなのであろうか。

 

では南インドのkurmaはカレーなのであろうか。

 

ではインドではその3つはカレーだったとして、

 パキスタンに存在するyakhniとkormaはカレーなのであろうか。

 

トルコに存在するyahniとkavrumaは?

ペルシャに存在するyakniとkormaの原型は?

 

トルコのyahniとインドのyakhniではほとんどレシピが変わらないものも存在する。

(トルコの場合は存在した、になるかもしれないが。)

 ではインドのyakhniはカレーなので、

トルコのyahniはトルコのカレーなのか。

 

うるさい。

 

そろそろうるさいと言われそうである。

 

 

ただ個人的にはとても大事なことと思っている。

 

なぜか。

 

インド国外にルーツを持つ料理は、

インド国内にルーツを持つ料理とは根本的に料理としての組み立てられ方が違うからである。(インド国内で見てもいろんな料理としての系譜が存在する)

 

もちろん、

長い年月を経てインド仕様にアレンジされてはいるものの。

 

それが食べられているコミュニティーの宗教、

使用する調理器具、

玉ねぎの炒め方、

にんにくと生姜のバランス、

使用するスパイスの種類とその配合、

トマトの使い方、

主たる素材の火の加え方、

何と一緒に食べるのか、

どういうときに食べるのか、

 

それらはカレーという言葉では掴みきれない。

少なくとも私は掴みきれていない。

 

そしてそれらを理解できれば、

もっと美味しいインド料理が作れるのではないかと

考えるようになった。

 

具体的に言うと、

ヒンドゥー教徒の解釈でイスラム教徒の料理は美味しく作れないし、

その逆もまた然りである、なのではないかということでもある。

 

これは非常に壮大なテーマであり、

だからこそ逆にとりあえず、カレー、というようなあまりにも多様なものを一般化する言葉が必要だったのだろうと感じる。

 

しかしながら、

カレーを突き詰めながらも、そこにに行き詰まりを感じたとすれば、

それはカレーという便利な言葉を捨て去らなければ、

もうそれ以上先には進めないのかもしれないとさえ思う。